アカツキJAPAN
いや~、男子バスケットボール、ワールドカップ、面白かったですね~~
WBCやラグビー同様、国際試合は素晴らしい!
勝った試合は全部、テレビ観戦出来ました。
バスケは展開が早いので、一喜一憂もめまぐるしい!
川村選手。
私は彼が中学生のころからYoutubeなどで応援していましたが、昔から異常なスピードと決定力。
172cmと私からすればデカイ(私167cm)ですが、
よくも2m越えの奴らを翻弄できますよね。
チビ界の王様ですわ。
しかし、もっと小さいのがキャプテン富樫選手。
彼は167cm。この5cmの差はデカイ。
彼はキャプテンながら、川村君に出場時間を大半奪われたのにも関わらず、全く、腐らず、
短時間でも出場したら必ず決めてくれました。
かれこそ、チビ界の神
富永選手
彼のことは全く知りませんでした。
本当にかまいたちの山内に似ていますよね~
あれ?やすこも出てきた。
でもあの、きっれいなサウスポーで弧を描くスリーポイントを見るたびにかまいたちなんかよりよっぽどカッコよく見えてきました。
彼が188cmもあるなんて見えませんよね
ベネズエラ戦の比江島選手、神がかっていましたね~~~~
そして彼の試合後のインタビューの控えめで人柄の良いこと!
※弊社の山下は中学時代、彼のチームにボコボコされたとのこと・・・
一発でファンになりました。
そして立役者・ホーキンソン
彼もヌートバー同様
<もろ、アメリカ人やん・・・>
って冷めた目で見ていましたが、おじさん、彼を大好きになってしまいました。
そして、トム・ホーバス監督
彼は女子も準優勝に導いた実績が素晴らしい。
あの、めちゃくちゃ厳しい表情から、一転、マインドを落ち着かせ、勇気と自信を持たせる手法は敬服ものです。
しかし、例の第4クオーターはしびれました。
逆転負けのパターンやんってゾワゾワしていました。
弊社には元プロバスケットボール選手が二人いますが、
(特段、コネや思いがあったわけでもなく、たまたまです。)
渡邊選手は、弊社、中四国支店、山下の尽誠学園の後輩です。
彼は尽誠学園、入学当時は、ポイントガードだったみたいです。
当初は背が低く、そこまで有名な選手ではなかったと・・・・・
それが尽誠学園の3年間で20Cmも背が伸びて、有名選手になったと・・・・山下談
なるほど、だから、ドリブルとかのハンドリングもうまいわけだ!
さて、
繰り返しますが、
弊社には、元プロバスケットボール選手が2人います。
2人とも謙虚なので、あまり現役時代の話をしません。
※私だったら、キャバクラで毎回、自慢しまくるはずです。
中四国支店 営業 山下 和樹 (ヤマシタ カズキ)
183cm
31歳 SMR入社5年目
所属チーム:高松ファイブアローズ(現香川ファイブアローズ)
B型、少々潔癖症、極めてまじめ。
183cmとプロでは大きくない。
※ど~~~もバスケでは結構有名な選手で、よく高松の夜の街を歩くと黄色い声が聞こえてくる。
繰り返しますが、私ならば黄色い声の子をとっ捕まえ、武勇伝語りまくり、アドレス交換しまくるでしょう。
山下は全くしません。
下の画像を見ると、巨大な外国人選手との差がわかる。
のちに説明がありますが、これが大けがのもとか・・・
わかるわ~
55番、味方でよかったな~~~
そして下記の画像は、大きくないのに彼が活躍したバネと躍動感が伝わる。
2人の黒人に襲われているし
打点、高っ!!
ダンクやん(私、ギリ、ネット)
あ、こりゃ~~入ってるわ
でも、やはり、貴重な動画を見ていただきたい。
これらは、私が無理やり時間をかけて口説いて引っ張り出させた。
見た瞬間、、、、私も中高とバスケをやっていただけに、惚れてしまったし、
なんでもっと自慢しないか理解ができない。
スターやん。
やばい子やん
すげい方やん
詳細が知りたくなったので、山下にお願いし、ヒストリーをLINEでもらい、
下記に添付いたしました。
彼の文章です。
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バスケは兄の友人に誘われたことをきっかけに小4でミニバスに入る。
ただ、兄はサッカーがしたくて、私はバスケがしたかったため、両親にジャンケンで勝った方にしなさいと言われ、私が勝ちバスケをすることになりました。
【小学生】
体育の授業である程度やり方も分かっており、入部して1年で県大会ベスト4
小6のときには県選抜チームではキャプテン
【中学生】
中学生では四国優勝、県選抜チーム
※全国大会で現日本代表の比江島にボコボコにされる
【高校生】
高校は尽誠学園に進学
高2から国体選手に選ばれる(1年時は選考会に参加している1年が私1人だったので比較対象が居ないという訳のわからない理由で落ちる)
高3ではU-18日本代表候補選手としてJapanの合宿に招集。
東京の味の素ナショナルトレーニングセンターで1週間の合宿スタート。
柔道の石井慧、卓球の福原愛などオリンピック選手が普通にいる環境。
私の1週間の評価は最終日まではA判定。最終日にC判定で日本代表を逃す。
全国大会では思うような結果が残せず毎年2回戦敗退。
【大学】
大学は関西大学(大阪)に進学。
1年次からスターティングメンバー
3、4年次には関西選抜に選ばれ、4年時にキャプテン
大学リーグ戦ではMVP
しかし、順風満帆なように見えて怪我は沢山してきました。
今でも傷痕が残っている両方の瞼の部分は片方12針、合計20針以上縫う怪我。救急車で運ばれた程の大量出血。バスケでそこまでの怪我?と思うが、身長2mを超える外国人の腕や肘がバスケ中にはちょうど私の顔面の高さになる。
鼻も2回折れ、足も1回骨折、脳震盪で3日間くらい記憶が無くなった事もある。
そんなこんなでもうバスケはやり尽くしたと思い、大学卒業後は一般企業に就職して普通のサラリーマンになると思っていたのですが、
プロバスケットボール(当時bjリーグ)からドラフト指名により
地元香川の球団、高松ファイブアローズ(現香川ファイブアローズ)に電撃入団
【プロ】
基本的に年俸制
+インセンティブ報酬
+小中学生スクール(バスケ教室)指導の報酬
など
インセンティブ報酬には
・試合中にダンク1本すると1万円
・1試合10点以上→〇〇万円、20点以上→〇〇万円
・リバウンド10本→〇〇万円
・出場時間、〇〇分以上→〇〇万円
※契約内容で内容に個人差はあります
そして個人スポンサーとしてミズノと契約
試合で着用するウェアはチームが契約しているメーカーを着用するが、それ以外のときのウェアやシューズなどは提供していただける契約。新商品が発売されるタイミング、もしくは必要な物があれば連絡し、家にダンボールに箱詰めされて届くシステム。大量すぎて気がひけるほど、、、。
またファンからのプレゼントは異常
バスケシューズ、ウェアなどはもちろんあったが、誕生日には私服、靴、時計、プレステなどバスケに関係ない物まで、、、。
練習終わり、車のサイドミラーに差し入れの袋がつられてあったり、バレンタインには試合後の出待ちで、経験したことの無いような数のチョコやケーキを貰って、持ちきれずスタッフに受け取ってもらうほど。
チヤホヤされまくったプロ生活
ただ、バスケの選手生命は良くて30歳半ば
安定した職と結婚を機に25歳で引退
幸いにもプロでは大きな怪我はすることなく引退出来ました
その後、地元のクラブチームと3on3チームに加入
【クラブチームと3on3チーム】
クラブチームでは四国優勝
3on3では香川県で大会が無いため岡山県の大会に登録して参加
優勝し、全国大会まで経験 ※動画あり
趣味としてもやり尽くし、現在では全くバスケをやっていません。
下の動画が引退後の3on3
2人目
東北支店 営業 近藤 雄治 41歳(入社5年目)
所属チーム仙台89ERS
岩手県出身。
彼も極めてまじめ。少々天然。
男の子が4人もいる。(バスケのためにもう一人推奨中)
※彼は所属チームを選手として引退したのちにずっと球団職員として勤務していたため、ある意味、社会人経験は
SMRが初めて。
プロ時代の写真は少な目で年期を感じます。
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かわうぃ~~い~~
北川さんごのみやん💛
本当にプロ??
なんかミニバスみたい。
あ~~~、なるほど、筋骨隆々だわ。
では近藤からもヒストリーをLINEでもらったので紹介させてください。
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・チーム名
仙台89ERS(センダイエイティナイナーズ)
・在籍年数
選手として2年在籍
球団職員として11年在籍
・入団時期
17年前の2006年、今のBリーグの前身だったbjリーグの仙台89ERSにドラフト2巡目指名を受け入団、入団当時26歳
(bjリーグは6チームからスタートしたプロリーグ。
仙台はプロチームのオリジナルシックスと呼ばれている)
ポジションはSG・SF(シューティングガード・スモールフォワード)
スラムダンクで言うところの三井寿・流川楓
在籍2年目のシーズンでイースタンカンファレンス1位(5チーム中)
プレイオフまで進み控えながらも3位の成績に貢献。
面白ネタではないのですが、、、
シーズン終了後に自由契約となり、球団職員の打診を受けてフロントスタッフとなる。
2010-11シーズンには、東日本大震災の影響で、試合会場も被災を受け予定の52試合中36試合でシーズンを終える形となり、当時の日本人選手は他チームにレンタル移籍となる。
球団職員はスポンサー企業を周り、次シーズンのスポンサードをお願いに回るも企業も震災の影響を受けており中々難航する。
球団はスポンサー収入とチケット収入が成り立たないと倒産に追い込まれる為、職員皆んな必死だったことを覚えています。
同時に後援会や仙台市民もチーム存続の署名活動を行ない2万人以上の署名をリーグに提出、支援金が集まる。
まだ外に瓦礫の山が残る2011年10月、半年あまりの時を経て仙台89ERSは活動を再開することができリーグ戦をスタートすることができました。
会場に来ることすら大変だった当時満員の会場で聞いた歓声は忘れられません。
バスケットに関わらずスポーツには人を動かす力、感動できる力、活力を与えてくれる力があるのだと間近で感じることができた特別な1日だったのを覚えています。
大変長いBLOGになりましたが、彼ら二人はとても頑張っています!
やはり、プロになるって・・・・当たり前ですが、並大抵の素質、そして並大抵の努力では無理でしょう。
そして、生き残りをかけて戦うためにひたむきさは尋常ではないと思います。
そして完全にプライドを捨て、気持ちの方向転換できたとき、プロ時代の努力は必ず社会でも報われると思います。
以上